今回のクレイジージャーニーは女性ラッパーのawichです。
クレイジージャーニーawich
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関西万博でパフォーマンスもしたラッパーawich。世界から注目されています。
ラップは世界情勢や社会を歌詞にしていることが多く、ジャーナリスト的な一面をもちあわせています。
ニューヨークブロンクス
ニューヨークでawichが取材してくれました。ラップはリアルを歌うのでラッパー魂に火がつきます。
黒人が世間に向けて発信したものがラップの始まり。
1977年雷による大停電のとき、音楽機材を盗んでブロンクスでパーティーを始めたのがヒップホップの起源
ノトリアスBIGは東海岸のラップ界のレジェンド。麻薬の売人からラップスターに昇りつめた人です。
西海岸のレジェンドもいて、2PACという人。awichは2PACが好きです。
2人は仲が悪く、ノトリアスBIGは24歳、2PACは25歳、抗争で亡くなりました。
ハーレムでラッパーファーグの友達ダッパーダン
ハーレムの某アトリエに連れていかれました。
ラッパー界にオシャレを提供したダッパーダン、80歳。ラッパーができた当時黒人ギャングとイタリアギャングがいて、イタリアギャングは全員イタリア製高級スーツを着ていました。
黒人ギャングはボスのジョンゴッティにあこがれました。イタリアギャングとは仲がよかったです。黒人ギャングはお金がなくオシャレがしたくてもできませんでした。
仕立屋のダッパーダンは高級ブランドのロゴだけを借りて、勝手に黒人に似合うデザインの服をつくりました。
その海賊版の服を自分の店で売ったら大ヒットしました。ハイブランドが安価で手に入るので黒人にとってはありがたいものでした。
本家のGUCCIは勝手につくっていることに怒っていましたが、ダッパーダンの店は小さい店だったので探し当てるまではしませんでした。
しかしヒップホップが世界中に広まり始め、ヨーロッパの白人が聴き始め、服も真似始めたら本家GUCCIは黙っていませんでした。
本家GUCCIに海賊版の服を買いに行く現象が起きてしまいました。当然売っていなくて、どこで売っているのか本家GUCCIが探し出しました。
マイクタイソンの路上でのケンカが事件として取り上げられたときにダッパーダンの服を着ていたところからバレてしまいました。
お店は閉店、ダッパーダンは告訴されました。しかしモノグラム商品で本家GUCCIはダッパーダンには勝てず、本家GUCCIでつくった服がダッパーダンの服に似た商品ができてしまい、世間で「ダッパーダンの服に似ている」と炎上してしまいました。
本家GUCCIはダッパーダンに謝罪して、ダッパーダンを正式なGUCCIのデザイナーとして迎え入れました。