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新庄Boss生い立ちに成功のカギはあった、意外にもお父さんっこ

深イイ話で新庄Bossの密着がありました。やはり努力の人でした。

新庄Boss生い立ちに成功のカギはあった、意外にもお父さんっこ

幼いころから貧乏でした。この貧乏が「お金持ちに絶対なる」という気持ちのモチベーションにつながりますよね。

そして父親をキライにならず、尊敬できたこと、体格に恵まれ、継続するちからがあったことが、野球を続けられたのだと思います。

お父さんは弱音を吐かない人で、毎晩お酒を飲む人でした。

仕事は1度も休まず、合気道の先生でした。

家の中に隙間風が吹き、盲腸でも言えなかった。

お父さんは新庄Bossを野球選手にしたかった

お父さんは新庄Bossを野球選手にしたかったらしく、池で石を投げた日からいままでしたことが無かった野球をさせるようになりました。

大人のチームでプレーして、逆転負けをし、悔し泣きをした。大人の中でも勝ちにこだわるなんてスゴイですね。

そこで野球チームを2日で作りました。町内に人たちの支援でユニホームも作れました。

結成2か月で福岡3位までに昇り詰めました。

しかし個人ではそんなに野球は上手くなくて、野球の強い「西日本短大附属高校」に一般で入りました。

目指すはプロ野球

推薦・特待生を抜いてレギュラーをとるようにお父さんから言われました。

新庄Bossは甲子園には興味がなく、するならプロ野球しかない、活躍したらできると思っていたそう。目標がプロとは発想が大きくでもできると思って実現させるのはスゴイ!

高校3年生福岡大会のとき、サイクル‐ヒットをだし(一人の選手が1試合中に、単打・二塁打・三塁打・本塁打のすべてを打つこと)プロから注目をあつめました。

プロに入り、なかなか結果がだせなくてお父さんから激がとんでいました。

「初球を打て」と何度も言われましたが、そうはいかず、でも初球でホームランが打ててからは、レギュラーで何十年もその位置でいられて幸せでした。

それからは、お父さんは家で新庄Bossの活躍を常に見ていて、お酒を飲み歩くこともなくなりました。

メジャーから声がかかり、日本の高額年俸をけり、アメリカへ渡りました。アメリカで活躍し、日本でも活躍して、引退後はバリで14年過ごして今日に至ります。

お父さんに2011年4つのがんが見つかり、新庄Bossが好きなことをさせて最期を過ごしました。

また選手を目指していたけど、監督に

それからまた選手復帰を目指してトレーニングを積みました。

若いときは3日で治っていた筋肉痛が2週間かかるようになり、監督業の方を目指すようになりました。研究・分析を100の試合を見て勉強して歩きました。

とにかく勉強しまくって野球業界全体を盛り上げることが夢になったようです。

いまは全身全霊ですること一つ一つに取り組んでいます♪

 

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